忘年会のシーズンが近づいてきました。僕の場合、職場の忘年会はなんだか楽しめず、友人たちだけで開催する忘年会が、忘年会を忘れるための忘年会でした。こんにちはみょんみょんです(誰やねん)。

1.人生に影響を与えた「大きな背景」
今日は僕が前職を辞めるに至った「大きな背景」について書いていきます。ここに挙げる大きな背景は実際の出来事です。それらとは別に人生を再考する(≒ 前職を辞めることも含め)影響を与えた要素としては、職場内の出来事はもちろん、小説、映画、音楽、学術論文、歴史など多岐にわたりますが枚挙に暇がありません。また書きます。
で、ここで言う「大きな出来事」としては、
(1)阪神淡路大震災
(2)東日本大震災
(3)マイノリティ支援における自分の立ち位置への疑問
(4)コロナ禍(COVID-19 Virusによる世界的パンデミック)→これは別の機会に。
少なくともこの4つが挙げられます。それぞれの内容について、自分の経験に引き付けて書いていきます。
(1)阪神淡路大震災と僕
結果から言えば、僕が居住していた地域は震度4で大きな被害はありませんでした。当時僕は高校生。前日の1月16日から病院で点滴をするほどのヒドイ風邪を引いていました。地震発生時はAM5:46でしたが、その数分前から強い吐き気を感じてトイレに引きこもっていました。深度4とは言っても、今まで経験したことのない異様さを感じたのを覚えています。「これは違う」と。だからトイレから出た直後に自分の部屋で急いでTVをつけました。そこに映っていたのは、阪神高速道路が模型のように倒壊している映像でした(その後は書きません)。
被災者の方々の苦悩や苦労は想像力を働かせることしかできませんが、年齢も関係なく、ある意味ではフラットに、5,000人以上の人々が一瞬にして死んでしまうという現実は、
将来の不確実性・明暗の表裏一体について大きなインパクトをもって立ち現れました。
だから僕にとってこの災害は、風化させないといった高尚なものではなく、その後も人生を考える際に常に懐から取り出されることになります。当時は奇跡的にも知人・友人に被害者がいませんでしたが社会人になってから仕事で知り合った同い年の知人の弟が犠牲になられたことを知って、更に思いが強まったこともあります。
(2)東日本大震災と僕
今度は2万人弱があっと言う間に亡くなります。当時、僕は関西にいたので直接的な影響はありませんでした。仕事中でしたが皆でTVの生中継に目を見張りました。またか・・・と阪神淡路を思い出しつつも、津波が仙台空港に押し寄せる映像を見ながら同僚が隣でふと言い放った一言が今も忘れられません。
「日本でもこんなことになるんや~」
僕はその一言に「????」を覚えました。あまりに衝撃的な言葉を聞くと、人間は返す言葉も出てこないもんです。何を言っているのかワカラナイ。ピヨピヨ状態パルプンテ。
自然災害が発生しても、今まさにTVで生中継されているような悲惨な状況は、先進国家である日本では起きないだろうというという誤った認識。過度なナショナリズムやローカリズムの土壌を成すような根拠なき優越心。加えて、今まさに命をかけた困難に直面しているであろう人々に対する想像力の欠如・・・。彼女もまた阪神淡路大震災を経験している年齢です。それでも尚、明日は自分もわからない、何者になるかさえわからない、決して他人事や対岸の火事ではない、人生など不確実性の塊だという真実に行き着かない。むしろ、そういった思考や態度とは逆に、我々は制御された世界に暮らしているというシステムの構成要素に成り果てた無自覚的自覚。当然、1万8,000人以上の人々が瞬時にして死亡、行方不明となったこの震災は僕にとって、今も尚「戦後」と同様に括弧つきの「復興」です。
(3)マイノリティ支援における自分の立ち位置への疑問
今では性的少数者(セクシュアル・マイノリティ、略称として「L/G/B/T/Q」など)に関わる諸課題も一般的に語られるようになってきました。僕は2015年に、親しい大学教員に声を掛けて頂き、初めて性的少数者と呼ばれる人々が集まる月例会に参加させて頂きました。その会では、被差別部落・性的少数者・在日コリアンというマイノリティが混在していました。正直な話、僕も最初は戸惑いました。言ってみれば、被差別部落の出身であり、在日コリアンでもある、加えて性的少数者でもあるという複層的な属性を持つ人もいた訳です。現実は決してひとつにまとめられない。

その会の中で、性的マイノリティに関わる用語についていけない部分もあった僕は、自分の無知さを知り、それを契機として勉強を始めました(お勉強ではありません)。知れば知るほど、彼らの過去~現在に至るまでの苦悩と自分の無知さのギャップを恥じました。だからアンテナを張って、研究者による研究発表会があると聞けば京都に赴き、兵庫に車を走らせ、なんとかコンタクトをとって飛び入り的に、当時はまだ広く知られていない活動団体の会にも参加させて頂きました(マイノリティを出汁に金儲けしか考えていない組織も幾つかありました)。そうこうしているうちにフェスタを開催するために団体の運営委員になって資金繰り(スポンサー探し)に四苦八苦したこともありました。SNS等でも発信していたので活動が広がり、友人との酒の席でも、
「なんのためににああいう活動やっているの?」(無関心)
「いやいや、そんな問題も経済と絡み合わないと解決は無理」(倫理は?)
「その人がゲイであれレズであれ、私は気にしないけどな」(無関心)
「法律(婚姻に関する憲法の話です)が変わることはないでしょうね」(無関心)
「とーたんは優しいからなぁ・・・」(無関心)
「僕は昔、ゲイの人に嫌な目に遭わされたからなぁ」(偏見と無関心)
「公務員だからそんなこと言えるんです、民間なら相手さんのこと考えてそこまではできない」(なるほど)
といった類の言葉をたくさん聞いてきました。活動をしていると何故か妬まれるというのもよくわかりました。椎名林檎さんの歌詞ではないですが「据え膳の完成を待」っているだけの人たちがたくさんいることもよくわかりました。だから活動していると、僕自身がマイノリティとなる(笑)。
youtu.be
ちゃんと教育してくれよ(笑)。
ただ、マジョリティ側による上記のような発言には、現状を変更する可能性を奪うというよりも、無知・無関心が基底になったものがほとんどです。だからその時々において発言者を責めることはしませんでした。「なるほど、今の現状はこういうもんだな・・・」と社会におけるマイノリティについての客観的な確認作業と割り切るしかなかった。いやほんまに、2015~2016年当時はそんなもんでした。
概念的な「隣人」という存在を意識していた僕は、当時は公の立場にあったこともあり「公務員こそまずこういった現実を主体的に学ばなければならないんちゃうの?」と自問した結果、自分が所属する公共団体に、活動で知り合った「当事者」である知人を呼んで、なんとか全職員対象の研修会の開催を実現させることができました(学校現場での教職員に対する研修は許可されませんでした。今なら許可されると思いますが 笑)。
しかし、そこでひとつ考えを巡らせなければいけなかったことがあります。というのが、なんだかんだ言っても僕は公の人間。ボスは日の丸。であるならば権力を持っているのは僕自身の立場であるじゃないか? という疑問です。社会学者の内田樹は、「自分らしさ」とか「自分探し」といった言葉の胡散臭さについて、
「そういうことを口にする人間が、しばしば「管理する側」の人間だった」(注1)
という点に求めています。「自分らしさ」というのは多様性の軸となるもので、個々人が主体的に「私はワタシ」と考えることで、レイシズム、ナショナリズム、ローカリズムなどのイデオロギーを客体化し、主体性をもって振り払うために有益です。だから内田による「管理する側」の都合という指摘は、使い方によっては個々人の力を減退させてしまう危険性もあって完全に首肯できるものではない。
それでもなお、僕自身にとっては、セクマイの皆さんがどれだけ婚姻に関する訴訟を起こしても、いつまで経っても認められない現実と、管理する側から代替案的に提示されたパートナーシップ制度(認知の向上としては意味もありますが)、杉田水脈さん?(元ですか現職ですか?)国会議員による「生産性」用語における思考を伴わない乱暴な使用などを見ていると、公に属する人間として、その組織内において、自分はシステム内部に存在する1体のウイルスでしかなく、さらにその拡散力に限界を感じつつありました。
障碍者(障害者)、セクマイ、在日コリアンあるいは新渡日者などマイノリティに関わる課題など、公人であっても意識的な人しか考えないどころか、用語さえ知らない公務員もたくさん存在します。しかも下手を打てば「意識高い系(笑)」として一枚岩的に括られ、面倒な奴としてレッテルを張られ揶揄されるという(笑)。
その意味では、システムとして見た場合、内田が指摘する「管理する側」の人間である私という立場を払拭できない面も認めざるを得ない。
・・・・・・。
2.現状維持をやめて、「今」に焦点を合わせる
先に言っておきますが、これは将来への悲観ではありません。僕が上に挙げた震災における死のリアリティやマイノリティ問題と自己の立ち位置といった視点は、変化を過敏に恐れるため、現状維持を選択しようとする恐怖心を振り払い、行動を起こすための(ある意味では)楽観です。楽観でいいんです。
僕は明日にも死ぬかもしれない、障碍者になるかもしれない、歳をとれば「(後期)高齢者」と社会的に括られた末に幾人かに疎まれるかもしれない、国家、民族だけでなく色々な側面においてマイノリティになる可能性だって捨てきれない。これらは問答無用の現実です。
しかしながら、将来を不安視ばかりしていても何も始まらない(外務省の言うことを聞いて独り旅もできないじゃないか!)。そんな不安こそ根拠なき想像でしかない。
だからこそ大切なのは、未規定な「未来」への不安ではなく、将来の未規定さ・不確実性をしっかりと血肉化して認めたうえで、それらを傍に置いたまま、
「今」の大切さに気付き「今」を行動する。
「リスク」も「不安」も現状のシステムに自分を依存させているが故の想像の産物に過ぎない。そう思った訳です。その行動を実践する選択権は誰にあるのかと問えば、もちろん自分です(明日、学校に行くか、仕事に行くか、釣りに行くか・・・etc、選択って自分以外の誰がするの?)
と・・・次回はダウンシフトにつづく(と思います)。
※上記内容は、また別の機会に分解したうえで詳細に書きたいと思います。
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【注釈】
注1 : 内田樹,『サル化する社会』,文藝春秋, 2020