今日は調理系専門学校で経験した実技試験について、あくまで40代というオトナの目線から書いていきたいと思います。ま、初心ナントやら、前向きな回顧録です。
僕が通った学校では、西洋料理、中国料理、日本料理の3種類を学べました。表面的かと言えば決してそうではなく、各分野の基本的事項を徹底的に教え込まれます。1年通せば、最終的には「コース」(MENU)を、多くの料理の中から前菜からメイン、デザートまで提供できるよう設定されていました。
調理技術も(当たり前ですが)「昔ながらの見様見真似(笑)」ではなく(先生にも依りますが)「調理理論」に基づいた(言ってみれば化学反応)内容は意識されています。基本を学びつつ、その後はさらにステップアップした料理内容となります。
試験は大きく分けて座学と実技に分かれます。
座学の場合は前期と後期の2回。これは調理師免許に関わるもので、総合得点が基準より下回れば(試験料を支払って)追試、それでもダメなら(また支払って)追試の繰り返し。説明を聞いた時には、
「亡者かよ・・・(笑)」
※僕にはそんなお金払っている余裕はない訳で。
と思いましたが、学校側としても学生を入学させた以上、最低でも免許は取ってもらわなければ保護者にも説明が付かないので、受かるまで受けさせる(ただし要課金)というシステムを採用しているのでしょう。職業訓練校ですから、障がいを抱える生徒もいます。彼らにとって資格は実務(就職)と直結していますから、課金制度は少々考えものですが、真面目にやれば "No one left behind" も理解できます。
・・・・・・。
さて、今日のテーマである実技試験ですが、これも西洋、中国、日本と各分野で3回の試験、合計9科目の試験が課されます。1試験10点満点で、6点以上なら合格です。ただし全ての試験で6点を取る必要はなく、9科目の試験を終えた時点で、6点×9科目=54点以上なら総合得点として合格になります。例えば9回の試験のうち、
西洋料理:①4点 ②9点 ③5点 = 18点
中国料理:①8点 ②2点 ③6点 = 16点
日本料理:①9点 ②7点 ③6点 = 22点
合計:54点=合格となります。
53点以下の場合は5点以下だった実技試験を追試(材料は各自持ち込み)となります。実技試験の内容は、それぞれ基本的な料理技術を問うものですが、だからこそ難しいものが選ばれています。もしかしたら年によって違うのかもしれませんが僕の場合は、
◆西洋料理
①人参のジュリエンヌ(5cm×2ミリ千切り)
②ジャガイモのシャトー剥き
③オムレツ(卵2個)
◆中国料理(エスニック含む)
①ピーマンの掃除と千切り(絲(スー))
②人参の飾り切り(鳥、魚、兎から選ぶ)
③薄焼き卵(蛋皮(タンピー))
◆日本料理
①大根の桂剥き(長さ50cm以上)
②梅人参
③出汁巻き卵
当然、分野によって包丁も違えば鍋も違います。しかもフライパンも巻き鍋もテフロン加工など施されていない「鉄」です。タタラです(笑)。つまり「火加減が大切よ!」「焦げちゃうわよ!」「くっつくわよ!」ということです。
現代の科学技術は料理にも多く応用されていますが、学校ではそういった技術や用具については禁句化されている…面があります(笑)。
スライサーやフードプロセッサーを使えば容易にできるやん・・・と僕のように実家が飲食店でなくとも首を傾げたくなる内容もあります。しかし実際に現場に出て痛感するのは、
「器具とか使ってる暇ねー--!!」
という事態が発生するってことです。恐竜に追いかけられるドラえもん状況。
それでも焦らず「なんとかしてみせる」というのがプロなのですが、そこで役立つのはやはり人の手です。器具を持ち出す前に判断・実行する。「みんながんばれ」、「ガンガンいこうぜ」、「呪文使うな」なんて指示している暇などない。加えて言えば、少なくとも僕が生きている間は、この危機的状況を打破するAIは実装されないと思います。まぁ、
道具もSNSもこのブログだって人間の使い方次第
ってことですね。
そんな条件下なので、追試の資金提供など見込めない我々社会人3人組は座学・実技とも真面目に学習、練習しました。
前に書いたように先生の都合を聞いて、その指導のもとに居残り練習(要食材持ち込み)ができるのですが、例えば上記「オムレツ」の場合、3つのコンロに社会人が3人横並びでパンを振るわけです。1回の「放課後」でオムレツを10~20個作る(持って帰って食べる・・・)。僕ら3人の社会人は連携プレーもあって、座学・実技ともに追試を受けることなく無事に本当に良い成績で試験をクリアしました。実技試験が全て終わった際には、教室で先生が合格者の名前を呼びます。そのときはさすがに3人で握手しました。
「Age is just number」(年齢は単なる数字に過ぎない)
と言ったのはジャズ・ミュージシャンのパナマ・フランシスだったと思います。生きている以上、僕らはなんだってなれる。ギターを習い始めれば、そのときあなたはギタリストだし、サッカーボールを蹴り始めたらサッカー選手、ナイフを研ぎ始めたら料理人です。
安っぽい既得権益者は、例えプロであれ、そういった事態を歓迎しないかもしれません。もしかしたら何かを始めたあなたにつまらないことを言ってくるかもしれません。でもそんな不適切な内容は、発言者の個人的な都合が招いたイチャモンでしかない。だから自分の力を放棄せず進んでいけば良いと思います。人生はなんでも実験で、僕らにはいつだって、広い社会の中で、多様な可能性に満ちている。
明日もまた、今を大切にしようと思います。
ありがとうございました。