とある "Down-Shifter" の日常

そのとき考えます(笑)

40代で専門学生になる⑮ 「機嫌よく、かつ不真面目に」

 今回で『40代で専門学生になる』も自己目標の50%である15回を迎えました。つまり、とりあえず終わりを迎えたということです(笑)。わーい!テーマを読めば開高健の「悠々として、急げ」みたいですね。

これを機会に同様のテーマは一旦止めて、今後は「そういえば」的に引き出しから出して来ようと思います。

 これまでは、「学校の選び方」、「通学の仕方」、「荷物の多さ」、「友との出会い」、「嫌な出来事」など、できるだけ具体的な内容を書くことを念頭に置いてきました。

 今回は一応の最終回なので、具体的内容とは少し距離を取って、新しいことを始めるに当たって、どういった精神状態を賦活(ふかつ)・維持(いじ)させていくかについて、僕自身の経験に引き付けて書いていこうと思います。

 上に「賦活」と書いたのは、現代社会では「石を投げれば鬱に当たる」と言われるぐらい心的ストレスを抱えた方が多いことを想定しています(当然だと思います。自分を責める必要など全くありません)。統計などの数字を出すまでもなく、どのような立場であれ、日常生活を送るだけでそれなりの負荷がかかるもんです。そのような社会的状況を、少々乱暴に一括すれば、『現代社会における「生きづらさ」』と換言できます。    じゃあその要因は何なのか?それを取り除いたらいいのでは?と答えを急ぎたくもなりますが、社会の構成員である私たちが意識するかどうかに関係なく、

 「高度情報化社会」

 「高度消費社会」

 「格差社会

 「物質主義」

 など、現代の特徴とも言える社会的背景は生活の細部にまで浸潤しています。外科的治療のように摘出できない。政治・経済・社会あるいは文化的領域にまで広く、環境として浸潤してしまっている。在るものはしょうがない。言わば近代的な合理主義が行き着いた先に僕たちは存在している訳です。その意味では、村上春樹の言葉を借りれば「システム」という壁に対して、僕は投げられる「生卵」(になった)訳です(笑)。

 それに加えて日本の場合、2024年には団塊の世代の全員が75歳以上(公的な枠組みとしては「後期高齢者」)になる。激烈な少子高齢化。ちなみに僕の世代は(誰が仕掛け人か知りませんが)、「失われた世代」(The Lost Generation)なんて呼ばれちゃっています(笑)。現在では少子高齢化が問題になった挙句、「産めよ増やせよ」「生産性」なんて言葉を軽々しく口にする失言政治家が少なからずいる中で、「ベビーブーム」という(ある意味では奇跡的に幸福な)世代に生まれた僕たちの世代は "lost" ですよ(笑)。

 価値観自体が逆転しちゃった。

 ちなみに " lost " 世代の大学浪人は1/3人、バブルってなに?(笑)、就職は超氷河期、今でいう「小中高等学校の教員が足りない」なんて地球がひっくり返るコペルニクス的転回(笑)だった、というのが僕の世代です。そんなことを一気にほうばると、「もう、課題だらけやん!」と息ができなくなる(笑)。だからこそ、

 一旦、そういった、社会的な大きな背景は置き去りにしちゃいましょう。

 「次世代のために」のスローガンのもと、真正面から向き合うべき問題であることも理解できる。でも相手があまりに大きすぎるので、精神的余裕でもないと立ち向かう気力も出ない。そもそも、人間が世界や社会情勢によってその都度、人生が左右されるのは歴史が明らかにしている。だから、

時代に泣き言を言ってもしょうがない。「被害者」意識を持つことに意味はない。

というのも現実的な考え方です。

 そのためにもまずは、人生を半分生きた "これから"の人間が" 、"これから" 意識したほうがいいことは、

どうやって、「 ‟愉快に、機嫌よく” 生き延びるか」(注1)

 というものです。上記引用は社会学者の内田樹の言葉の一部ですが、内田の指摘は(少なくとも部分的には)的を得たものだと思います。自分の立場に引き付けて考えると、

 

「上司が私を怒らせる」、「同僚が私を怒らせる」、「同業者が私を怒らせる」、「既婚者が私を怒らせる」

 

 それら排水溝が詰まった先に、

 

「社会が ァァァァ!!」

「よのかな ガァァァァァァ!!」

「世界が ァァァァ!!」

 

 と呪いの感情で自己を支配してしまう。しかし冷静に(6秒以上)深呼吸をすれば、時代も他者もあなたに、「怒れ」、「感情を害されろ!」、「ぐへへのへ」と命令している訳でもない。誰に制御されている訳でもない。

 だから、多くの場合、怒るか/怒らないかは自分が選択できるんです。あくまでも最終的な選択決定権は、私(あなた)自身にあるわけです。そこを忘れると、先に挙げた大きな背景~日常という小さな出来事まで、全て自分の感情を左右させるものとして迫ってきてしまう。

イングリッシュ・ペイシェント』(The English Patient),1996,米

 大切なのは、社会、世間、世の中、他者からの出来事や言動に対して、いちいち感情を左右させないことです。それを意識化する努力(といっても常々意識的であるだけ)を続ければ、変化にチャレンジしたり、不安を克服したり、現状を変えようとする意思が培われたりしてくる。

 その結果、やっと先に挙げた消費、情報、物質主義、格差社会などを冷静に観察して、主体的に(自分から)抜け出すための思考を働かせることが可能になる(ライフスタイルとしての生き方を再考できる)

 これが僕が社会人学生になる前後期のプロセスで学んだ大切なことのひとつです。自分という存在を放棄しないこと。例え強風が吹こうとも、柳に風のように、機嫌よく流してしまいましょう。

 じゃ、また。

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(注1)内田樹,『サル化する世界』,文藝春秋,2020